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2023.09.22 ブログ
こんにちは。
先日、芸人のブラックマヨネーズの吉田さんが自分の老眼を例えて、「進撃の巨人を読んでいても巨人しか見えない。目が良くなったら調査兵団も見えるかな」と言っていたのにいたく感動した井上です。「そういうことじゃないやろ!」と爆笑しました。こんな発想が瞬時に出てくるって、本当に吉田さんは天才だなと思いました。
さて、先日ふと「勉強する」と「学ぶ」ってどう違うのかなと思ったことがあり、気になったのでいろいろとネット検索してみました。
紙の辞書が手元になかったのでネット上の辞書(goo辞書)の記述になりますが、
「勉強する」
1、学問や技芸を学ぶこと。
2、物事に精を出すこと。努力すること。
3、経験を積むこと。
4、商人が商品を値引きして安く売ること。
「学ぶ」
1、勉強する。学問をする。
2、教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。
3、経験することによって知る。
4、まねをする。
と、ありました。1、3はほぼ同じで、4はそれぞれ特有の意味なので、今回は2を見比べようと思います。
「勉強する」→物事に精を出すこと。努力すること。
「学ぶ」 →教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。
「勉強」という言葉には「強」という漢字が含まれます。訓読みは「強(し)いる」ですね。つまり強制する、無理をする、頑張る、努力する。そんな語感があります。
私はふだん生徒たちに勉強を教えているわけですが、勉強は嫌な事、面倒くさい事であることは当然だと考えています。「楽しく勉強する」は理想ではありますが、生徒たちにとっては、基本的には嫌な事であると思います(この表現には少し語弊があるので最後まで読んでくださいね)。
先日亡くなった上岡龍太郎さんは、教師たちに、「あなたたちは子供に理想を教えるものではないのか」と叱責したことがありました。かっこいいですね。
みなさんは私と上岡さんの意見を読んでどう思いますか?
全ての物事に興味や関心を持つ人はあまりいないでしょう。教師側がどれだけ興味深い話をしても、興味を持たない子にとっては、退屈な話でしかありません。それでも、授業を受けることが楽しい、と思えるように工夫するのが私たちの仕事の重要な部分です。
しかし、家での勉強はどうでしょうか?何度も練習したり問題を解いたり、そんな孤独な自学習を楽しいと思える人は少ないかもしれません。
それこそが「勉強」なのではないでしょうか。嫌な事を努力する、苦労する。上岡さんのご意見は素晴らしいもので、教師として忘れてはならないことだと思いますが、生徒たちの「勉強」は私たちの仕事ですべてをカバーできるものではありません。家庭、学校、塾だけでなく、自分一人での努力を含むものです。そこに「勉強」の本質があるのだと思います。
その先に「学ぶ」があるように思います。つまり、身につけること、習得すること、勉強したことを使えるようになること、です。つまり、「自分の物にする」ということです。逆説的な表現になりますが、ここでもまた、「勉強」が必要になります。「勉強」の先に「学び」があり、「学び」を確実なものにするために「勉強」する。その先に「楽しい」があります。なかなか「楽しい」にたどり着きませんね(笑)だから、勉強嫌いやねん。そんな声が聞こえてきそうです。
まあそう言わずに頑張りましょう(笑)
多くの人が嫌いな勉強ですが、私は勉強をおすすめします。「先生やから当たり前やん!」…いやいや、そういう意味ではありません。これだけ興味のない事に、しかも苦労を伴う勉強をどうしておすすめするのか。良い点数が取れるから?良い高校に合格できるから?良い会社に就職できるから?いえいえ、そんな事はたいしたことではありません。苦労を伴う勉強をしなくても良い点数を取るための(中身のない)テクニックはあります。それを使って高校に合格することは可能なことかもしれません。(高校に入ってから大変な思いをするかもしれませんが。)また、スポーツや美術などで名門高校に合格することも可能です。そして、良い会社なんて、高校の名前で採用してくれるはずがありません。
それでも私がおすすめするのは、「楽しい」なんて比べものにならないくらいの「喜び」や「達成感」や「成長」がその先にあることを知っているからです。そういう生徒を目の前で見てきたからです。それは、自分の足で「そこに」たどり着いた人にしか得られない感情ですが、人生の中で得られるチャンスは限られています。将来お金をいくら稼ごうが得られないものです。それを、家族や先生、国の援助を受けながら得る、しかも、その努力は将来の自分のためになるなんて、コスパ良すぎじゃないですか?(笑)やらない手はないでしょう?
しかし、今目の前にある宿題のプリントは、みなさんにとって、悪魔のような顔をしているかもしれません。わかります、それも真実でしょう。しかし、少し広い視点、少し先を見据えた視点を持ってみてもいいのではないでしょうか。悪魔の顔が徐々に緩んで……きませんか(笑)
…まあ、頑張りましょうよ(笑)
そろそろ中間テスト期間に入ろうとしています。今はまだ多くの人が「勉強」の段階で、辛く苦しいかもしれません。しかし、必ずその先にやって良かったと思える未来があります。Definitely。
最後に余談ですが、冒頭のブラックマヨネーズのお話。彼らはご存知のように2005年のM-1グランプリの王者です。それまでにも数々の漫才の賞を受賞されていたのですが、M-1グランプリだけは4年連続で決勝に進出できませんでした。主にネタを考えていた吉田さんは、これが今の俺たちの最高のネタで限界だと思ったものを作り、しかしまたそれを壊して、また最高のネタを作り、と繰り返していくうちに精神が壊れていったとテレビで話されていました。その当時は、呼吸の仕方を忘れるくらいの極限状態にあったそうです。
数年前、私は、自分が10年かけて積み上げてきて「最高」だと思えるものを作り上げたことがありました。しかし、ようやくできた「それ」を壊したほうが成長できるのではないか、成長のためには壊さざるを得ないのではないか、と思い、断腸の思いでそれを壊したことがありましたが、そのときは3年立ち直れませんでした。3年間は何をしていても空虚な状態が続きました。私は一度の経験でそうなったわけです。吉田さんはそれを数回繰り返したわけです。想像を絶する苦しさだったことでしょう。
話が逸れましたが、吉田さんは、そんなときに、ふとラジオのような掛け合い漫才はどうだろうかと考え、あの伝説の「ボウリングネタ」ができたそうです。吉田さんは当時を振り返りながら、こうおっしゃっていました、「これでもか、これでもか、と作っては、もうあかん、もう無理や、とそれを壊して、そうして精神がボロボロになって、それでもまだ、これでもか、これでもかと考え続けた先に、あの漫才ができた。」と。吉田さんほどの才能のあるような方でも、「本当の最高」は、簡単には得られないもののようです。
それでは今日はこの辺で失礼します。