World Cup 2022 -信じるということ-

2022.12.16 ブログ


こんにちは、井上です。
ワールドカップも決勝戦と3位決定戦を残すのみとなりました。みなさんはどれくらい観戦していますか?私は学生時代にサッカーをしていたこともあり、しっかりと見ています…と言いたいところですが、一番見たかった準決勝の少し前に体調を崩してしまい、ほとんど見られていません。せっかくのワールドカップなのに…タイミングの悪いウイルスです。(幸い新型コロナウイルスでもインフルエンザウイルスでもありませんでしたが)

さて、日本中が熱狂したグループリーグですが、第1戦で優勝候補のドイツに対し衝撃的な逆転勝利を収め、第2戦ではFIFAランキングで格下のコスタリカに負け、そして、最終戦では優勝候補のスペインにまたもや逆転勝ちするという、世界中が予想だにしない結果になりました。
もちろん私も日本を応援していましたが、ドイツ戦の前半で心が折れそうになりました。前半は防戦一方で、失点が1点に抑えられたのが奇跡であるかのような展開でした。失意のまま、迎えた後半で、あの逆転劇が繰り広げられたのでした。そこで気持ちを持ち直し、コスタリカ戦を観戦しました。しかし、ドイツ戦のような慎重さ、忍耐力、点を取りに行く姿勢が私には感じられず、またもや心が折れそうになりました。そして、スペイン戦。ドイツ戦の前半程悪くはなかったので、後半に期待すると、またもや逆転劇。興奮しました。すごいよ日本!!と思い、眠りにつきました(笑)

しかし、床に就いた私の心は少し複雑でした。それはスペイン戦後の久保建英選手のインタビューを見てはっきりとしたものになりました。久保選手はベスト8をかけた次戦クロアチア戦について、「あんまり期待しないほうがいいのかもしれないですね。今までの日本の皆さんの反応からすると。」と応えました。今大会では、日本人サポーターに対しての報道やSNS上などで、「手のひら返し」という言葉をよく目にしました。上記の私の様子を見てもわかるように、残念ながら私もそのうちの1人でしょう。

では、応援するとはいったい何なのでしょうか?無防備に信じ、失敗しても「ドンマイ」と声をかけることなのでしょうか?よかったと思ったことを「よかった」と言い、よくなかったと思ったことを「よくなかった」と言う。勝負事には、称賛と同じくらい批判はつきものですし、向上することに必要なものでもあると思います。もちろんSNSなどで選手の目に留まる形で、心無い言葉を使ったものは批判ではありません。単なる悪口、暴言です。そうではなく、森保監督の采配や交代枠の使い方、選手のプレーに対して、正当に批判することは悪なのでしょうか?いったい私のどこがよくなかったのでしょうか?そんなことを考えながら床に就いているときに、ふと生徒たちの事を思いました。私は同じようなことがあったときに、生徒たちに対してどう考えるかを思い出してみました。私は、すべての生徒に対して、その時期は千差万別ですが、いつか良い結果を出してくれると信じていることに思い当たりました。結果を残す猶予として、生徒たちには3年間ある一方で、ワールドカップを戦う選手たちには最長でも約1か月間しかありません。比べることは難しいですが、応援する側の私の中で根本的に違ったのは、「信じているかどうか」だということに気づきました。
前半でドイツにやりこまれたときに、「いや、後半なんとかしてくれる」と思えませんでした。また、コスタリカに負けたときにも、「次、スペイン相手でもなんとか勝ってくれるだろう」と思えませんでした。それなのに私はこの選手がどうだとか交代のタイミングがどうだとか「批判」していました。これは応援ではないと気づかされました。あれだけの熱戦と結果を出して感動をくれた監督や選手たちに対して、心底申し訳ない気持ちになりました。

子供に接する保護者の皆さんにとってはもちろん、私たちにとっても「信じる」ということは本当に大切な事です。子供は多くの場合、思ったように行動してくれないものです。(私もそんな子供でした笑)しかし、次こそは!それがだめでも、その次こそは!と信じ続けてあげることが子供の支えになり、そのことがいつかその子供が動き出した時の原動力になります。あるいは、頑張っている子供の心が折れそうになった時の心の支えになります。また、信じるということは、庇ったり褒めたりすることだけではありません。時にはそういう側面もありますが、叱ったり突き放したりすることも、場合によると信じることの表れであると私は思っています。次を信じているからこそ、叱り鼓舞することが必要な時もあります。そのタイミングや適切な選択が大切なのですが、それをするためには「知ること」が必要です。この子供は今どういう状態なのか、どういう心境なのか。そして、「知る」ためには「よく見ていること」が不可欠です。
私は生徒の点数に一喜一憂することはあまりありません。塾講師としてあるまじき発言に思われるかもしれませんが、生徒をしっかりと見ていることに自信を持っているからです。今結果を出すべき生徒がいればその時の点数は大切ですが、今はまだ途上にある生徒には、結果を求めないことがあります。途上というのは勉強においてだけでなく精神面においても、です。精神の成長なしに勉強の成長はありません。点数には出ていなくても成長し力がついている生徒もいるし、逆に点数が出ていても成長せず力がついていない生徒もいます。私が確実な結果を求めるのは、3年生の定期テストと実力テストと、そして入試です。それらは結果が出ないことには次に繋がらないからです。そのほかのテストでは、点数よりもその生徒の成長具合や、やる気が今どれくらいどこに向いているかを見ているので、結果はその次に気にすることになります。点数だけで褒めたり叱ったりすることは、本質ではないと私は思っています。
独特な解説で話題の本田圭佑選手が、今大会での日本人サポーターの両極端な応援のしかたに対してのインタビューでこう応えています、「内容によるというのが僕の理想の考え方です。どこの国に行っても本当に結果がすべてなぐらい、手のひら返ります。でも、結果を出しても批判するべきだし、逆に負けても称賛するべきだと思っているんで。そこの本質を見る目を養わないと、本当にいけないんだろうなとサッカーに限らず常に思いますね。」(わかりやすく簡潔にするため、内容を一部を編集しています)結果だけで評価するのは、物事の本質ではありません。結果は出すべき時に出せばいいのです。それまでは、真に成長しているかどうかを見極めねばなりません。

私は単に無防備に「信じる」ということを言っているのではありせん。見続け、知り、根拠を持って次を「信じる」ということを言っているのです。私は、生徒たちに対してはできていることが、サッカー日本代表に対してはできていなかったことを知りました。ワールドカップを通じて、自分の心の弱さを知りました。信じるためにはしっかりと知らなければなりません。見ていなければなりません。4年後、今度は心から信じて応援できるように今から準備しようと思います。

それでは今日はこの辺で失礼します。


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