千差万別

2021.05.13 ブログ


こんにちは、テスト対策の準備に追われている井上です。教材が変わったことがあらゆるところに影響しています(-_-)

さて、今日は先日見たネットニュース(『女性自身』蛭子能収支えた妻が語る「夫が認知症に。やっと夫婦になれた」)を読んで感動したお話です。

漫画家でタレントとしても活躍する蛭子さん。昨年7月に認知症と診断されてからテレビで拝見する機会は減ってしまいましたが、個人的には好きなタレントさんの1人です。世間的には眉をひそめるような言動がある人だと捉えられているようですが、多くの人は「大人として」思っていても口に出さないが、蛭子さんはそれが口から自然に出てしまうだけなのだと私は思っています。いわば子供のまま年を重ねたような方だと私には見受けられます。ただ自然に自分の欲求に正直に発言する、だからその言葉には裏表がなく棘がない。そんな印象を持ってます。

そんな蛭子さんは、前妻である貴美子さんと死別して、2007年に現在の悠加さんと再婚されたそうです。そのときから悠加さんは、「蛭子能収の妻になろうと努力してきた」そうです。前妻の貴美子さんとの仲睦まじいお話も何度かされていたので、悠加さんの気持ちは察するに余りあります。「よっちゃん(蛭子さんの愛称)の心のなかには亡くなった前妻の貴美子さんの存在がいつまでもあり、どんなに私が尽くしても夫婦にはなれない」と話されています。そして「離婚に向けた話し合い」もしていたそうです。
しかし、そんなときに認知症が発覚してそれどころではなくなり、二人で治療に専念することになったのですが、その頃から、「よっちゃんは『ありがとう』と言ってくれるようになったんです。これまで『ごめんね』や『ありがとう』という感謝の言葉を聞いたことがありませんでした。(中略)これも認知症の症状の1つだとしたら……よかったんですよね」と悠加さんは話されていました。

私たちの頭の中には、成長とともにいろいろな「方程式」が作られていきます。「認知症=悪いこと」というのもその一つです。しかし、蛭子さん夫婦の例にあるように、それもまた「人それぞれ」です。私は大学で(ずいぶん前の話ですが笑)文学と差別について学びました。その講義でも、差別を生むのは「イメージ」であると学びました。私たちがその中身を知ろうともせずに、うわべの知識だけで「イメージする」あるいは「方程式にする」ことが、ひいては差別につながります。一人の人間を出身地や肌の色で差別することもそのような思考からきています。「黒人はみんなこうだ」「障がい者はみんなこうだ」、すべて同じことです。「大人たち」はすぐ歴史などの例を挙げて、「でもね…」と言いますが、その「知識」や「経験」は、その人を救うためにあるものであって、その人を批判するためのものであってはいけません。千差万別。すべての人が異なる性格や環境を持っています。私の頭の中に作られた「方程式」をもう一度見直さないとな、とこの記事で改めて考えさせられました。

そして、私は毎日、様々な子供たちと向き合っています。彼らもまたそれぞれに違っています。私は、他の先生方と同じように、授業の専任としてではなく「補習の先生」としてこの仕事を始めました。経験を重ねるにつれてやがて講習を持たせてもらえるようになりました。その際、専任の先生方に、「報告書」を書くのですが、その最後にいつも「ありがとうございました。」と書いていました。それは、「いろいろな生徒を見させていただいてありがとうございました。」という意味でした。10人を教えれば10人に合った教え方を、20人を教えれば20人に合った教え方を学べると思ったからです。おかげさまで、そのようにして現在もその数を積み上げられています。それが「知識」や「技術」となって、目の前の新しい生徒たちに向き合う材料になっています。
そして中学生という時期は、一人の同じ生徒が、昨日と今日で大きく変わることもある時期です。私たち大人は、いつもその変化を見守っていなくてはなりません。私もそう念頭に置き、いつも講義をしています。

蛭子さんの奥様のインタビューはこんなふうに終わります、「認知症になって、ようやく夫婦になれた気がします」。人生は、どこに答えがあるかわかりません。できることなら、いつも頭の中はまっさらな状態で、前向きに生きていけたらな、と思えた記事の紹介でした。


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